かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(33) 本を読む子/読まない子 後篇

 日頃から「本を読まない」、語彙数が決定的に不足がちな彼らは、どのように文章を理解しているのでしょうか。

 おそらく彼らは、たとえそこに分からない言葉があったとしても「分かったつもり」でそのまま読み飛ばしていることがほとんどだと思います。

 これまで様々な子供達の国語学習をみてきましたが、そうした子は概して言葉に対する感度が低く、分からない言葉に出会っても、そいつをさらりとスルーして、自分の知っている言葉だけで文意を解釈しようとしてしまうのです。

 ですから読解問題などをやらせた日には、ウソだろう? と赤ペンを持つ手がどぎまぎするような答えが目白押しになるわけです。何せ分からない言葉をスルーして読んでいるのですから、彼らは「正確な読解」とほど遠いものを読んでいると言わざるを得ません。

 いざ問題を解くにあたって彼らは、あろうことか本文を読むという作業を全く放擲し、字面だけ追って答えの穴埋めをしたり、ヘンな箇所を抜き出したり、という暴挙に出ます。

 これでは国語の学習もへったくれもない、思考停止作業と言わざるを得ません。寧ろそんなことをするなら、表でアホみたいに遊んでいる方がよっぽど健康的であります。

 小学校の低学年であれば、語彙のレベル的にそれほど差はつきませんが、学年が上がるにつれてきちんと読める子とそうでない子の差は歴然としてきます。
 しかし、その歴然たる読解の差にすら気付けない、まさに自覚症状を伴わないものこそが、この「語彙数欠乏症」なのです。これは放っておくと、後々大変なことになります。どこの学年にも一定数存在する、お便りが読めない親、電話でないと話が伝わらない親などは、そのなれの果ての姿と言えるでしょう。

 そうならないためにも、子供には小さいうちから「本に親しむ習慣」をつけさせ、言葉に対する感度を高めておくにこしたことはありません。

 ではどうやったら、そんな習慣をつけられるのでしょうか?

 答えはカンタンです。親が愉しそうに本を読んでいればよいのです。

 猿みたいに背中をまげて四六時中スマホをいじくり倒す親を見て育てば、子供もまたそれに倣うし、読書に親しむ親をみて育てば、子供もまた自然と「本を読む子」に育つというもの。

 つまるところ、言葉と環境は密接にリンクしているのです。