かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(34) 三つ子のキャパは 前編

 よく子供が勘違いすることわざに「三つ子の魂百まで」という言葉があります。

 これは金さん銀さんみたいに、三つ子が長生きするということではなくて、小さい内に身につけたものは生涯忘れない、という教訓めいたことわざです。

 まぁ、そりゃそうだろ。と軽視するなかれ。実際のところこの教訓は、けっこうマジであることが最近の研究や、幼時教育の実践例から分かってきたらしいのです。

 私はこれまで様々な現場で子供達をみてきたわけですが、やはり彼らの能力値にはかなりバラつきがあるということを折に触れて実感してきました。

 一度の学習ですんなり内容を理解してしまう子がいる一方で、二回三回、もっと大変な子になると十回、二十回と復習を繰り返すことでしか、同じ水準の理解度に達しない子もいます。

 この如何ともしがたい差は何か。それは「頭の良さ」でありましょうか? なるほど、だとしても「頭の良さ」とは、そもそも何に由来するものなのでしょうか?

 私が思うに、こうした学習の出来、不出来を左右する「頭の良さ」とは、「遺伝」「環境」はさておき、まずは頭のキャパシティの大きさなのです。

 学習とは、指導や活字から受け取った情報をいったん頭の中にインプットし、それを整序立てて定着させるプロセスを経ることで成立します。ですから、何か新しい内容を理解するためには、とりあえず新たな情報を複数、頭に入れることから始めなければなりません。

 例えば、読書をする時を思い出してみてください。ある物語を読んで、その結末において感動したり、ある専門書を読んで、その論理を追跡して最後に全体を理解しうるのは、その結末に至る筋や情報を頭の中に保持することが出来ているために外なりません。

 優れた読解力を持つ「頭の良い」子は、一冊の本を読了して後に、その全体を俯瞰的に振り返ることができますが、そうでない子は局所的な理解や感想に留まらざるを得ない。この差こそが、キャパシティの差なのではないか、と私は思うのです。