かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(47) 三つのミス Ⅰ

 学習者はその学習過程において、まず以て必ず「間違い」ます。一度も転ばずに自転車に乗れるようになるのが珍しいように、未習熟な学習者が学びの道中においてコケることは、当たり前のことなのです。

 そんな学習者に対して「間違えるな!」と教える輩はとりあえず論外であるとして、ここでは問題にしません。学習における「間違い」とは決して否定的なものではなくて、「その生徒がどこで躓いているのか」あるいは「どこまで分かっているのか」といった理解度をはかる上でも重要な指標となってきます。

 ですから指導者が重んじねばならないのは、間違いの量より質であり、「どんだけ間違えたか」ではなくて「どのように間違えたか」こそが問題とされなければならないのです。

 そこで今回私は、日頃から目にする間違いを三つのタイプに分類してみることにしました。以下、順に説明を加えていくことにしましょう。

「間違い」の三分類
○軌跡が分かる間違い
○無軌道な間違い
○分かっているのに間違える 

一、軌跡が分かる間違い

 「軌跡」と銘打ったのは、他でもない「思考の痕跡」の謂いであります。

 誤答となって敢えなくバツを食らった数式や計算、論述の齟齬などを見ていると、「ああ、このように考えたのだナ」と納得できる間違いに出会うことがあります。もちろんそれは不正解に変わりはないのですが、その痕跡を辿ることでその生徒がどこで躓いたり、どこで勘違いをしたのかが分かる間違いは、寧ろ質の良い間違いと言えるでしょう。

 何しろ問題の所存がはっきりと、その間違いに明記されているわけですから、支援の方策も立てやすいし、一緒にその学習者が辿った道をなぞって「気づき」を促してやることだって容易なのです。

 学習者はその「気づき」を頼りに、同じ手を食わないように軌道修正をしながら、次の課題に取り組んでいくことでしょう。これは彼らが自分から「学ぶ」ことに欠かせない過程であり、指導者の使命は彼らの「学び」を促すために、その間違いを有効活用してやることに尽きるのです。

 「教えること」はどこまでも「学び」の下位にあって、「間違い」は「学び」の友と言っても過言ではないのです。それでも全ての「間違い」が学びの友であるわけではありません。次に見ていく二つの分類は、およそ「学び」から径庭のあるものと考えた方がよいでしょう。