かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

育児漫遊録(15) 授乳夜話 Ⅳ


 私はミルクも乳も飲まなかったと言う。

 幸いにして我が子は私に比べればどちらもいける口であるし、その点だけでも遙かに育てやすいはずだ、と私の母親は言う。そうは言っても目の前で火の付いたように泣きしきる新生児と相対する午前三時は「すさまじ」としか形容し難いものがある。

 夜中に腹が減って起きても、たっぷりミルクを飲んでげっぷをして、太平楽な顔をして寝付いてくれるのならば、これ以上何を望むことがあろうか。すうすう、と満たされた我が子の寝息を子守歌に潜り込む布団の温さ、心地よさといったらない。この点に関してのみ申せば、二度寝の床の心地よさを愉しむ分には「夜の長さを何度も味わ」うのも悪くない。

 さはれ、そんな理想的な授乳が叶うのは二晩のうちにいっぺんくらいなもので、ある時はげっぷに失敗して吐き散らして大泣きし、ある時は下っ腹の調子が悪いのを思い出して大泣きし、またある時は寝付いたと思って降ろすと大泣きして、延々とベッドへの着陸と離陸の「タッチアンドゴー」が繰り返される。

 これは「背中スイッチ」と言うらしく、子育て界隈においてはド定番の現象だそうであるが、これに見舞われているあいだは、いつ自分は寝られるのだろうか、という如何ともしがたい下降気流に見舞われる始末である。そのまま一時間が経過し、二時間が経過すると、あやしているのだか単に自分が眠くて揺れているだけなのか、最早よく分からなくなってくる。

 この夜の中で自分がどこを飛んでいるのかしら。ぬばたまの夜をわたっていく者が舵を無くして、行方も知らぬ夜間飛行をしているうちに、思いもかけず不時着した先は次のミルクの時間である。流石に此奴めも燃料切れと見えて、半分眠りこけながらミルクを飲んでいる。