かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(64) ねじれ英語教育 Ⅰ

 なぜ英語を勉強せねばならないのでしょうか。「この頃のように日本もだんだん国際的に顔が広くなって来て、内地人と外国人とが盛んに交際する、いろんな主義やら思想が這入って来る、男は勿論女もどしどしハイカラになる、と云うような時勢になっ」たがためでありましょうか。

 もといこの一節は今からおよそ百年ほど前に書かれた谷崎潤一郎痴人の愛」の冒頭ですが、現今の英語教育観が果たしてここからより進歩的なものになってきているのかどうだか、はなはだ疑問の絶えないところであります。

 なるほど「国際的」な交流の機会が増てくるとは言うけれど、現に私は実生活上においていっかな外国人と「交際」することもなければ、わが国に入ってくる主義思想もまた(殊に私の専門上)原書で読まねばならぬという必要性もそれほど感じないわけです。

 その代わりにしょっちゅう耳にするのは「国際競争力」という言葉ですが、この言葉がまた分かりやすいようでよく分からないナンブツなのです。

 いったい、国を跨いで誰と競わねばならぬのでしょうか。確かに科学研究の分野においては論文を英語で執筆せねばなぬ場合がほとんどでしょうが、研究者になるレベルであれば英語なぞ必要とあらば自分で会得してしまうのが世の常。別に国が音頭をとって「国際競争力」なんて言わなくてもいいのだし、そんなことならばもっと学術研究に資金を投入したほうがよっぽど賢い選択となるわけです。

 ならばわれわれは誰と「競争せよ」とけしかけられているのでしょうか。

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