かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 モヤモヤするってことは Ⅲ


 だからこそ私はまず塾生諸君に「学問」をする下地を作れと申すのです。

 学問をすることとは、一つの「ものの見方」を学び、なおかつ自分と違う主義主張を持った他者の視点や見方が存在することを知るということなのです。現在わが国ではそうした「学問」の価値が蔑ろにされる傾向が著しく、儲かるためのガクモンにばかり注力したがるアホな政治家が得意げに「議論なきギロン」を繰り広げています。

 学問が糾弾するところは、まさにこうした近視眼的な利得にばかりとらわれた「今が良ければそれでよい」という腐りきった考えであり、この国の将来をより一層空疎なものへと向かわせようとするなさけないオトナ達なのです。

 と、いけない、いけない。ついつい私のモヤモヤの話になってしまいましたが、塾生諸君の抱えているモヤモヤの話に戻りましょう。

 そのモヤモヤが「将来」の見えづらさに起因していることは前回述べた通りです。しかし、だからといって「そういうことだから、自分は将来のヴィジョンとやらが定まるまで、気の向くまま風の向くまま、無為に過ごしてみよう」なんて了見を起こしている場合ではありますまい。そんなことではいよいよ病膏肓に入ってしまうわけで、モヤモヤは解消されないまま「とりあえず受験して・・・」という無考えなループにまた舞い戻ってしまいます。

 ではこう考えてみるのはどうでしょう。今、モヤモヤするということは、寧ろチャンスなのではないか、と。現にモヤモヤしているということは、それがまだはっきりとした輪郭を取っていないながらも、少なくとも自分が問題の所在に近づきつつあるということなのではないか、と。

 そんなモヤモヤと向き合う態度と覚悟が決まれば、あとはそのおぼろな輪郭をはっきりさせていけばよい。自分が一個人として社会に出るにあたって、果たして社会とはどんなもんなのか、新聞を読んでみるのも良し、そして身の回りの大人にその歩んできた道のりを尋ねてみるのも良し。

 社会に生きるリアルな大人の姿を一つのモデルとして取り入れて、「へぇ、こんな生き方もあるんだ」という一つの参照項を作るのです。そして、それを参考としながら「自分はどんな感じになりたいのか」をイメージしてみる。別に厳密に決めなくてもいいのです。それが大まかなヴィジョンであろうとも、ずっとモヤモヤしてうだつの上がらない状態よりかは百倍マシというものです。

 自分から外部に働きかけることなしに、モヤモヤが解消されると思ったら、それは大間違いであります。この働きかけを怠って無闇に親に当たり散らしたり不孝の王道を行くよりも、自分のモヤモヤとうまく付き合って、ちょっとずつそれに輪郭を与えていくことの方が、自分もハッピーであるし、汗水垂らして自分の学費を捻出してくれている親御さんだってハッピーであるはず。

 とりあえず、まずは自分が「モヤモヤ」していることを認めることからはじめてみてはいかがでしょうか?