かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆・再考 「そうだ、盆栽やろう。」

 あの時分はまだ、今より会がもうちょっと賑やかでありました。

 鬼籍に入られた方々、体の具合で足を運べなくなった方々、遠方のご子息のもとへ転居された方もいらっしゃいました。

 会員の減少は、私たちの盆栽同好会ばかりに顕著な現象ではなく、まさに全国的に進んでいるものでしょう。そして、それは盆栽という文化そのものを揺るがせにする問題といっても過言ではありません。

 もし市井のお庭の片隅から盆栽が消えてしまったとしたら、世の中には一億円の盆栽しか認知してもらえなくなることでしょう。そしてそれこそ〈盆栽=金持ちの趣味〉という貧相な固定観念のもとで盆栽という文化が逼塞してしまうのは避けられません。

 飽くまで盆栽が、波平さんをはじめとする、われら市井の人々と歩みを共にしてきた文化であることは、およそ全国各地域に「盆栽」と名の付く愛好家のサークルが存在していることからも明らかでしょう。

 地域の愛好家同士でつながることによって、実地で活きた技術が伝えられる点もさることながら、一愛好家が丹精込めて育てた樹を、そのコミュニティーの中で継承していくこともまた、同好会の大切な役割と言えます。

 家族で盆栽を扱える方がいない、という理由から、業者の手でごっそり引き取られていったり、展示会に花を添えた優樹たちが、見るも無惨な姿に持ち崩していく様を見るのは、どうにも遣りきれないものがあります。

 私の盆樹たちも、将来いつかは誰かのお世話にならなければならないわけですが、やはりその時は見ず知らずの人よりも、よくその人間が分かっていて、気心の知れた愛好家の手に渡ってほしいもの。

 そうしてみると、今後の同好会の存続と活性化は、いまの私にとって結構マストな死亡保険となってくるわけです。

 喫緊の課題は会員の獲得。老若男女問わず、「そうだ、盆栽やろう。」という気を起こさせるには、どうすればよいのか。ここが思案のしどころなのです。(次回へつづく)

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