かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆人漫録(9) アリの図書館戦争 下

 今よりもまだ頭数に余裕があった当時、展示会の当直は二人一組。

 これが一人だと結構ツラいもので、このご時世だと検温と連絡先の記入をしながら、「この樹って、何ていうの?」とか、お客さんの質問にも応えなければいけません。

 いつものこぢんまりした展示スペースと違って、図書館という場所は不特定多数の人々がやってくるわけで、盆栽に興味の無い人でも通りすがりに「おっ、何かやってるぞ」的なノリで見てもらえる利点があります。だから当直だって二人居ても、なかなかどうして、ヘトヘトになるものです。

 その日は金曜の平日という事もあり、お客さんの入りもまずまず。そろそろ閉館時間も近づいたので、担当のお二人が展示室を閉める前に水やりをしていた時でした。

 人の気の途絶えた展示室の一隅、噴霧器を携えた吉原さんが、展示台にかかる黒い筋のようなものを発見したのです。

 お客が落としていった糸くずか何かだと思って、拾おうと近づくと、それは風もない屋内で微かに揺れているかのよう。じっと見つめていると、その微かに揺れる一筋は、小さな小さな無数の黒い点と点の蠢きであって、何らかの意志の許に陸続と行進を続ける個的、いや集団的な生命の群れだったのです。

 図書館にアリの行列! これはなかなかにショッキングな事態であります。真新しいフローリングの上を、彼らはどこへ向かうのか知るよしもないけれど、これを野放しにしてしまったら「もう盆栽同好会さんには、展示スペースとして貸さないもんね」という事態にもなりかねません。

 こうなったら手当たり次第、係の人が施錠をしにくる前に何としてでも殲滅せねばなりません。ちり紙に箒にガムテープ、ありとあらゆる手段を尽くして、床の上に展開した地上部隊を叩いたり、くっつけたりして撃滅したら、残るは展示台の上・・・

と目をやったその時、蹴散らされた部隊の残党が、凄い勢いで一本の樹をめがけて退却していくのが見える。一体どこへ? 見つめる先には昨日皆で愛でていた赤松がある。そうなのです、彼らの巣窟というか本営こそが、あの沼倉さんが、えっちらおっちら持ってきた赤松だったそうな。

 一六三〇、変事の第一報が参謀徳江さんに伝えられ、一六五〇、駆けつけた徳江さんが沼倉さんの赤松をとりあえず回収して、急場を凌いだのでした。

 それにしても、徳江さんを待つ間中、アリはこちらが目を離した隙を突くようにして、幾度となく赤松の根方より出撃し波状攻撃をしかけ、図書館に駐屯するわが盆栽同好会に揺さぶりをかけたそうな。

 まあ、アリだって鉢ごと自分の家をどんぶらこと移送された挙げ句、赫赫たるライトの真下に設置されたときては、退っ引きならない一大事だったことでしょう。

 わが盆栽同好会とアリの図書館戦争は、かくしてとある夕べのうち、私や図書館の人があずかり知らないうち、秘密裏に幕が引かれたのでありました。