もとは田の道である。
街区はそんなかつての畦に沿うて路をいくたりと走らせ走らせ、あらゆるところに滞りと湾曲を用意した。
古い街区、新たに拵えた街区。そのいづれもがただでさへ真っ直ぐでない路々を塞ぐように突出して、あらゆる箇所にどこかどん詰まりのような印象を与えている。
私はこの街が嫌いではない。再開発などされなければ、もっと愛着があったと言ってよい。
この夕暮れに、果たしてこの街はどんな顔をして夜を迎えるものだろう、どんな風があの大通りを吹くものだろうかと、どうにも心にかかったのである。
日は未だ暮れない。
国道四号線に渋滞する車の群れの喧噪をガードの下に聞いて、裏道この路、信号と無縁の路地ずんずん進んで、私は街区の根元へと潜り込む。
ここもずいぶんとキレイになってしまった。大通りへと出た途端、期を俟っていたようにして洒落た電灯に光が入る。往来をゆく人々はそんな変化に気がつくまでもなく、愉しげに歩みを進めている。
「あわい」の時間を追いかけて「あわい」の空間を走ってきた私は、遂にその時空の尽きたことを知った。空には群青が浸してきて、あの灼けたように色づいた入道雲はその青のずっと奥になりをひそめてしまっていた。
帰ろう。と私は思った。
踵を返して新街区を後にすると、西の方、星明かりのまだ淡い中空に糸のような三日月が引っかかっている。こんな日曜日の暮れつ方も悪くない、と思った盆も過ぎのことである。