かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

子宝日記(9) 我が子のかかと

 「日に日に妻の腹は膨れてくる。」

 いかにも近代文学が好きそうな一節であるが、オートマチックに膨れ上がってくる妻の腹を見つめる夫という存在は、だいたい戦々恐々としているものではあるまいか。

 ちょっと前まで、何ほどの変化もなかった腹が「産休」であるとか「八ヶ月」の声を聞いたとたんに膨張をはじめるものだから、ある日風呂場でギョッとさせられる。毎日見ていないわけでもないし、日々もう止したがいい、と言われるほど触ったりリズムを刻んだりしているのであるが、それが明らかに昨日の腹と違うなんてことが、このところよっぽど多くなった。

 かつては「暗い水たまりの泡」の写真に無理矢理我が子の「実感」を得ようとあくせくしていた父も、こうなってくると「実感」というものによってにわかにジャックされた自分に戸惑いを隠せなくなるものらしい。

 寧ろ「実感」しかないのだ。そんな実感の塊が妻の腹の中に立てこもっているような感じ。あと二た月したら出て行くと言っているが、ここのところ随分と図体と態度がデカくなった所為かしらん、頻りと腹の中で動いたり伸び上がってみたり、やおら蹴り上げたり回転をはじめたり、夜となく昼となく好き放題に暴れ回っては「オウ」と妻を竦ませている。誰に似たのか、たいへんにバイオレンスな我が子である。

 そして私は昨日、我が子の「かかと」を妻の腹越しに触ってしまったのである。ぐいと内側から腹の皮を圧してきた足の形。その確かな形状と圧力をわが掌に感じる。最も圧力を伝えてくる、その円みを帯びた部分は、紛れもない「かかと」である。我が子のかかとである。

 とはいえ我が子よ、そんなに激しく蹴り上げたら、ご覧、君の母上が苦悶の表情をしているではないか。誰に似たのか、ほどほどというものを能く知らないらしい。

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