かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

教育雑記帳(54) 親のマネジメント力 Ⅰ

教室にやって来る子には二通りあります。 一つは「いつも一定の調子でやってくる子」、そしていま一つは「その日その日で調子が変動する子」に大別されるかと思います。 子供なのだから日ごとに何かしら調子の変動があるのは当たり前だ、と思われる方もある…

育児漫遊録(11) 沐浴エレジー Ⅳ

父がこんな不手際ばかり重ねているにも拘わらず、この子は泣きもせずぐずりもせず、口を真一文字に結んで何を思うのだろうか。 わが手の中でぐにゃぐにゃしている、このやわらかな物体は得体の知れぬ意志のようなものに突き動かされるかのように、時折ギクリ…

育児漫遊録(10) 沐浴エレジー Ⅲ

赤ん坊用のバスタブに湯を汲み入れる。そのうちに彼を風呂桶の蓋の上に寝かせて、身ぐるみ剥がす予定であったわけであるが、コトはすんなりと進行しない。 ふにゃふにゃと直ぐにその所在が分からなくなる腕は奇しくも頑強に肘を突っ張って、脱がせようとする…

蝸牛随筆(30) でんしすと Ⅴ

私の肝いりの「爪楊枝」は、歯科衛生士のお姉さんにあっけなくスルーされた。伝統的な歯科衛生法の決定的な敗北である。がっくり肩を落とした浪人風情の男が、楊枝を咥えていづかたへか去って行く姿が脳裏を過った。 「では、ちょっとお口の中確認していきま…

蝸牛随筆(29) でんしすと Ⅳ

さて、ここまで来たら観念しなければならない。ロボット掃除機のせいで心の平静が些か乱されたものの、大きめに切られた窓のおかげで室内は一様に明るい。これはきっと患者の不安を和らげる設計上の工夫であろう。さもなくば頭の上にタラバガニの如くに折り…

盆人漫録(31) ゴロ土とは何か。

愛好家が二人居れば互いの棚の近況について話がはじまる。愛好家が三人居れば、もそっと込み入った話がはじまる。「ところで、ゴロ土って皆さんどうしてます?」と何気ない問いがわが盆栽同好会の「土トーク」の最中に転がりでました。 「ゴロ土」と言ったら…

盆人漫録(30) ブレンダーの集い

「私はあと、富士砂かなぁ。」 「ほぉ、自分は何となく矢作砂ってやつを入れてます。」「ボクは赤玉と桐生だけだなぁ。」「日向って人もいるね。」 各人配合の割合はそれぞれ。基本の赤玉土と桐生砂の割合が「5:5」「6:4」と分かれるのは、棚場ごとの…

育児漫遊録(9) 沐浴エレジー Ⅱ 

こんな時にスマートフォンでユーチューブが視聴出来るのは有り難い。一昔前ならばここでパソコンを立ち上げ、有線のインターネット回線に接続して後に、ようやくカクカクした動画を視聴出来たものであるが、まめまめしき情報ならば即座に手に取れるのが現代…

育児漫遊録(8) 沐浴エレジー Ⅰ

初めて教壇に立った時がそうであった。 大学を出て四月が来て「ハイ、じゃあ先生お願いします。」と言われてチャイムがなる。指導案なんてものはいくら書いても所詮は抽象的な産物であり、机上の空論に過ぎない。ナマの生徒を相手に狼狽しているヒマもなく、…

蝸牛随筆(28) でんしすと Ⅲ

スリッパが散乱していた。 治療室の前で靴を脱ぎ、そこでスリッパに履き替える段になって、どういうわけかスリッパが皆がら靴脱ぎに墜落している。誰かここで派手に転倒でもしたのだろうか。そんな音はしなかったし、別段転倒の心配がありそうなご年配の姿も…

蝸牛随筆(27) でんしすと Ⅱ

私がその典型であったわけだが、日本人は歯が悪くなるまで歯医者に行かないのだそうである。悪くなったらそれをお医者に治してもらう、という観念が強いあまり「悪くなる前に行く」という発想がそれほど根付いていないのだろう。 「検診」と言われても何をさ…

蝸牛随筆(26) でんしすと Ⅰ

とうとう歯医者に行くことになった。 別に虫歯が痛むわけでも、親知らずが化膿してたいへんなことになっているわけでもないのだが、そろって家人に「早く行け」と言われて歯医者へおもむく。幼少のみぎりは痛切な自覚症状による退っ引きならない要求から、な…

教育雑記帳(53) ベンキョウとブカツ Ⅲ

勉強を通して「わかる」こととは、山を描くことに似ています。 ある山の山容を描けと言われた人は、おそらく頂上の形からその稜線の様子、裾野の広がりに加えて、それに連なる山系や重なり合って襞を為す隣の山裾の様子まで正確に記憶して「ある山」の全体像…

教育雑記帳(52) ベンキョウとブカツ

皆が学者レベルにならねばならない、というわけではないのです。社会生活の中で、他者との関わりの中で最低限、論理的にものを考え、自分の行動を決定したり、適切な言葉を使ってコミュニケーションを行えるようになることこそが、学校教育もとい国民皆学の…

教育雑記帳(51) ベンキョウとブカツ Ⅰ

春休みのグラウンドで、若人がパカスカとボールを打ち、何やら特殊なかけ声を発しながらランニングに勤しんでいます。なるほど春休みは、こうしたブカツに励む人々にとって、冬の間ままならなかったトレーニングの遅れを取り戻す絶好の機会なのでありましょ…

育児漫遊録(7) これは正解なの? Ⅲ

肩らしき部分にパット付きのショルダーベルトをあてがい、何となく股だと思われるあたりに見当をつけてベルトをロックする。 いよいよ正解が分からない。どう頑張ってもショルダーの位置に然るべきショルダーを用意することは出来ないし、お股は折り重なる布…

育児漫遊録(6) これは正解なの? Ⅱ

正解が分からない。 これが正しいチャイルドシートの使い方なのであろうか。明らかにこれは「嵌めただけ」である。おくるみをようやくのことで引っぺがした我が子の本体を嵌めてみたのだけれど、これでは固定もへったくれもないではないか。 どこに足がある…

育児漫遊録(5) これは正解なの? Ⅰ

用意した可愛らしいグリーンのベビー服に「着られて」産院から出てきた我が子を、はじめてチャイルドシートに乗せる。 彼はベビー服を「着ている」のではなくて、どう見たって「着られている」としか形容することが出来ない。手は閉じられた胸のボタンの下で…

教育雑記帳(50) 住所は書けますか?

これは結構見落としがちなところなのかも知れません。 検定試験にやってきた子供達、試験のはじまる前に解答用紙を引っ張り出させて、自分の名前等の必要事項を書かせていると、必ず鉛筆が止まる子があります。 明らかにその目がヘルプと言っているので行っ…

育児漫遊録(4) 一日一時間 Ⅱ

どれだけその一時間があっという間かと言えば、子供の時分に宿題やら何やらを死に物狂いで片付けて勝ち取ったゲームの時間くらい、と応えるべきだろうか。 新しいゲームを買ってもらった昔日の私も、目覚ましく不思議な玩具が目の前に立ち現れた今の私も、畢…

育児漫遊録(3) 一日一時間 Ⅰ

仕事に行くのを忘れそうになる。 つい一昨日のお産までは、難産で時間がかかるようなら教室に出ようなんて了見であったヤツが、面会時間の制限がなかったらいつまでも産院に入り浸る構えで、自分の息子が入ったカゴに齧り付いている。 妻は思いの外産後もケ…

盆人漫録(29) 樹育てと子育て

私のよく知る愛好家が、このところ人の親となったそうな。この間の同好会に眠そうな顔をして出席していらっしゃったので、近況をお聞きした次第であります。以下聞き書き。 このところ育てているものが増えてしまいまして、日々えらいことですよ。「育てる」…

蝸牛随筆(25) 善男善女のライブ Ⅲ

宗教とは何か。 私は「物語」であると思う。「死んだらどうなる」というあまりにも普遍的な謎に対して、一つの物語を提示するものこそが宗教の意義なのではないだろうか。一つの宗教に帰依する、いや、親しむということは、それが提示する物語に親しむという…

蝸牛随筆(24) 善男善女のライブ Ⅱ

「いま春の彼岸を迎え、日は真東から昇り、真西へ沈まんとす。西方は阿弥陀如来のおわす浄土にして・・・」の聞き慣れたフレーズを朗々と和尚さんが唱える。季節のうつろいをバシバシと感じる大事なところである。 読経がはじまると、本堂の座り椅子に着座した…

蝸牛随筆(23) 善男善女のライブ Ⅰ

巡る季節の中で、私は春と秋の彼岸の頃の日和が好きである。 苛烈を極めた夏の太陽と炎熱を、さらりと吹き流す風の立ちはじめるのが秋彼岸の頃合いであり、芯まで凍える冬の寒さがどこか遠い忘却の彼方へと去るのが春彼岸の頃合いである。近くなると、お寺か…

塾生心得 「四月のお便り」

ようやく見頃を迎えた梅の花の隣で、桜のつぼみにも薄いピンクがさしてきたようです。寒い季節を耐え忍んで、どこからそんな色を出してくるのか、毎年のように不思議な気持ちにさせられます。 進級、進学の季節。新しい学校にドキドキしながら登校する緊張も…