かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

エッセイ

子宝日記(20) 軟禁パパと難産ママ Ⅵ

母子の休養を慮ってか、私が押し込められた個室には白色煌々たる蛍光灯がない。あるのは洒落たバーみたいな間接照明と、ベットサイドの読書灯ばかりである。 分娩台に行く妻を見送って四、五時間。この照明ではそろそろ本を読むにも心許ない。かといって缶詰…

子宝日記(19) 軟禁パパと難産ママ Ⅴ

軟禁。それはゆるやかな監禁の謂いであろうか。身体的な拘禁状態を監禁と呼ぶのなら、軟禁とは何らかの制度制約によって一個の人間をその場に拘留することを指すのやも知れない。 「パパはこの部屋を出ないでください。」と言われると、たちまち出たくなるの…

子宝日記(18) 軟禁パパと難産ママ Ⅳ

グーを作って、そいつを妻の臀部にメリメリと圧し当てる。そうでもしないと、どうにも痛くてきばってしまうのだという。 そんな急場へぬるっと場面が展開したのは、昼を過ぎたあたり。それまでは痛みも散発的で、助産師のおばさんは「まだ有効な陣痛ではない…

子宝日記(17) 軟禁パパと難産ママ Ⅲ

さて、このマシーン。絶えず不穏な拍動を発しながら、秒送りで吐き出される用紙にダイアグラムみたいなチャートを刻印し続けている。第一印象は、カフカの「流刑地にて」に登場するマシーンであるが、これもまた縁起が悪い表現となってしまうので止そうと思…

蝸牛随筆(22) 公園のストーン 後編

彼らがどこかへ走り去っていくのと入れ替わりに、別の少年が一人ストーンのところへ駆け寄ってきた。どうやらストーン遊びの一部始終を遠くから見ていたものらしい。 目を輝かせて、早速ストーンを抱えてみようとするけれど一向に持ち上がらない。さっきの彼…

蝸牛随筆(21) 公園のストーン 前編

公園の真ん中にストーンがひとつ。 「石ころ」と呼ぶにはあんまり大きくて、春の光を浴びはじめた芝生の只中にぽつねんと鎮座ましましている存在感たるや「ストーン」と呼ぶより他にない。 日が傾いて下校の鐘が鳴るころ、ストーンのまわりに子供達が集まっ…

子宝日記(16) 軟禁パパと難産ママ Ⅱ

お産の立ち会いに入るための検査を駐車場で受ける。ここまで来たら、すぐにでも妻の顔を確認してその無事を確認したいところであるけれど、それが出来ないのが今のご時世である。 心を落ち着けつつ軽トラの運転台で一五分、いつもの産院の駐車場で検査の結果…

子宝日記(15) 軟禁パパと難産ママ Ⅰ

私は「パパ」という名前ではないし、ましてやローマ教皇でもない。だのに、どうしてここの人々は初対面の私をして、さも昔からの知り合いであるかのように「パパ」と呼び、妻を「ママ」と呼称するのだろうか。 そんなどうでもいい違和感から、お産の立ち会い…

子宝日記(14) 魔の夜 Ⅲ

てっきり自分もまた中に入れるものだと思っていた。ところがどっこい、夜間入り口でスリッパを履きかけた私はまさかのゴー・ホームを宣告されて、二月の夜に立ち尽くす。 送ってきてもらった父は、ぶつけたワゴン車で去ったばかりであるし、最寄りのスターバ…

子宝日記(13) 魔の夜 Ⅱ

自分の父と母に、妻が破水した旨を伝えるや、やにわに事が大きくなった。 破水した妻を私の軽トラックで病院に連れて行くというのは、いくら何でも乱暴すぎるというので、父がワゴン車を出すことになる。腰に巻いていくためのバスタオルを母が用意して、私は…

子宝日記(12) 魔の夜 Ⅰ

その日は雨の音で目が覚めた。 あんまりしばらくぶりの雨だったので、最初私はそれが何の音であるのか分からなかった。樹々の眠り芽をそっとふるわせるかのように、薄曇りの空から降りてきた雨は、ようやくやってきた遅い春の先触れにも思われた。 雨の後に…

子宝日記(11) 玩具みたいな洗濯物

ようやく春めいた青空に、玩具みたいな洗濯物が翻る。はて、こんなものを着る人間があるのだろうか。一枚、そしてまた一枚、水通しした産着を不思議な気持ちで干していく。 しかしまぁ、よくもこんなに買ったものである。これを着る本人は、まだここに到着し…

蝸牛随筆(20) 私とブログ Ⅳ

○他者のまなざし 文章を「ブログ」という媒体に掲載する以上は、誰かに読んでもらって恥ずかしくないものを拵えなければならない。私にとってインターネット上というものは公共の空間であって、そこで全裸に近いようなあられもない言の葉を発表することは、…

弟子達に与うる記(22) 自分とは何か 後編

自主ゼミというものに誘われて入ったのは、二年生の春でした。恥ずかしながら、それまでごく限られた数名の友人としか付き合いをしなかった私の人間関係が、にわかに賑やかになってきたのはこの辺りからでありました。 教育学部と名の付くところに属しつつ、…

弟子達に与ふる記(21) 自分とは何か 前編

えらくベタで、自分だったらまずこんな見出しの話は読まない。そんな題を敢えて選んだのは、他でもない諸君に言っておきたいことがあるからなのです。 「自分とは何か」。私には未だによく分かりません。これが本題の答えであって、それ以上でも以下でもない…

蝸牛随筆(18) 私とブログ Ⅱ

○毎日一本 仕方が無いので、毎日パソコンを引っ張り出しては、一本一本と記事をあげるようになった。そうしている度に「おっ、やってるナ」という感じで妻がそんな私を褒める。これでは自主的に宿題をやっている子供を、母親が褒める構図と何ら変わるところ…

蝸牛随筆(17) 私とブログ Ⅰ

○処女航海 そろそろ一年になる。私にとって、こうしたことの始まりは、きまって誰かに尻を圧される形になるわけであるが、ドンと圧されて転びだした拍子に止まり時が分からなくなって、結局の所今度は誰かに停止命令を出されるまで転がり続けるものであるら…

子宝日記(10) 彼は見ている

つい先日、こんなことを耳にした。 赤ん坊というものは案外耳が発達していて、外界の音をよく聞いているというのは以前から知っていたのだが、視覚もまたある程度あって、腹の中でぼやぼやとしたものを見ているというのである。 なるほど生まれたばかりの赤…

盆人漫録(28) 同好会と多様性

そしてこれはこぼれ話。 佐々木さんに例のレジュメをいただいた席上、嬉しくって早速紙面に目を走らせていたところ、佐々木さんが小走りで駆け寄って来られる。 「宮川さん、それはどうか家で読んでくださいよぉ」と謙遜しておられるから、いやいやこれは本…

盆人漫録(27) 盆栽ゼロ年

年明けの盆栽同好会で、思いもよらぬ物をもらいました。 挿し木をしたポット苗や、「ちょっと棚の整理に協力されたし!」と譲りうける鉢の類いではありません。実にそれはプリントアウトされた文章であり、制作者は昨年同好会に入会された佐々木さんでありま…

蝸牛随筆(16) チャイルドシート綺譚Ⅵ

やって来た店員に尋ねると、これは「型落ち品」とのこと。 つまりは最新モデルが出たことによって、商戦における第一線から退役を余儀なくされた商品であり、驚くべきことに機能的な面では最新モデルとおよそ変わるところがない、と言うのである。何ならこち…

蝸牛随筆(15) チャイルドシート綺譚Ⅴ

危うく最新式のチャイルドシートの購入に踏み切るところだった。 「我が子のため」というスローガンは、私をしてあらゆる快適さをどこまでも追求せしめるかに思われた。そしてこの野放図な「追求」そのものが、商品の絶えざるアップグレードと価値(差異)創出…

蝸牛随筆(14) チャイルドシート綺譚Ⅳ

「これはエッグ・クッションというやつですね」「まぁ、ご存知なんですね!」 店員の説明を拝聴しつつ、覚え立ての横文字を言ってみたところ、思いがけなく誉められた照れ隠しに「ええ、まぁ」なんて間の抜けた返事をしながら頭を掻いている。 それもそのは…

蝸牛随筆(13) チャイルドシート綺譚Ⅲ

自分が欲しいものを人に贈る。 これは私が信条とするところのものである。まぁ、それが明らかな独りよがりにならない範囲であれば、たいがいは喜んでもらえるはずである、と自負している。 チャイルドシートを選定するにあたって、私がとるべき第三の道は、…

蝸牛随筆(12) チャイルドシート綺譚Ⅱ

なるほど、ありとあらゆる機能をとりあえず満載させて、某のマークが付いていて、金額的にもそれなりのものを購入すれば、きっとこの一家のように素敵な幸せが訪れるであろう、というメッセージがビンビン伝わってくる。 だが、それってどうなのだろうか。こ…

蝸牛随筆(11) チャイルドシート綺譚Ⅰ

希有なことが起こった。 チャイルドシートの型録をぺらぺらめくっていたところ、見慣れぬマークが付いている。何かのブランドというわけでもなく、最新式と紹介がなされたチャイルドシートには、ことごとくこの「ISO・・・」某に対応と表記がなされている。 …

弟子達に与うる記(20) ジョーホー過多

このほど大学入試に「情報」という科目が課されるとのこと。私だったら百パー詰んでいた、と胸をなで下ろしておる次第でありますが、今の時代を生きる諸君は、きっとこの手のことにも強いだろうし、私のようにこうした科目を未履修で来たわけでもないでしょ…

子宝日記(9) 我が子のかかと

「日に日に妻の腹は膨れてくる。」 いかにも近代文学が好きそうな一節であるが、オートマチックに膨れ上がってくる妻の腹を見つめる夫という存在は、だいたい戦々恐々としているものではあるまいか。 ちょっと前まで、何ほどの変化もなかった腹が「産休」で…

蝸牛随筆(10) 夜と光

汽水の川が海に注ぐあたり。 幾つもの川を横切って、平野を抜けて、小さな峠を二つ三つ抜けて、ようやくここまで来た。 実に三年ぶりである。かつての写真と見比べると、父の頭には白髪が増えて、祖母の座高はちょこなんと低くなった。毎年来ていた海端の宿…

盆・再考 降る雪に

冬囲いの中に入れてもらえなかった盆樹たちが、みぞれの降る庭に立ち尽くしています。 やや年も暮れ。曲げたり追い込んだり、私の内に渦巻くエゴイズムによって実害? を被った樹々は暖かなビニールの保護室で養生しながら、「いやはや、今年はだいぶアイツ…