かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

エッセイ

蝸牛随筆(27) でんしすと Ⅱ

私がその典型であったわけだが、日本人は歯が悪くなるまで歯医者に行かないのだそうである。悪くなったらそれをお医者に治してもらう、という観念が強いあまり「悪くなる前に行く」という発想がそれほど根付いていないのだろう。 「検診」と言われても何をさ…

蝸牛随筆(26) でんしすと Ⅰ

とうとう歯医者に行くことになった。 別に虫歯が痛むわけでも、親知らずが化膿してたいへんなことになっているわけでもないのだが、そろって家人に「早く行け」と言われて歯医者へおもむく。幼少のみぎりは痛切な自覚症状による退っ引きならない要求から、な…

定点観測(60) 時間よ戻れ

人間だれしも一度は思ったことがある。どうしても足りない時間を何かの神通力で以て引き戻し、何事もなかったかのようにコトを終えてしまいたいと。 さっきから「学力テスト」の問題用紙を教科書みたいに立てて、丁寧に一問ずつ設問を音読しているあの子はテ…

育児漫遊録(7) これは正解なの? Ⅲ

肩らしき部分にパット付きのショルダーベルトをあてがい、何となく股だと思われるあたりに見当をつけてベルトをロックする。 いよいよ正解が分からない。どう頑張ってもショルダーの位置に然るべきショルダーを用意することは出来ないし、お股は折り重なる布…

育児漫遊録(6) これは正解なの? Ⅱ

正解が分からない。 これが正しいチャイルドシートの使い方なのであろうか。明らかにこれは「嵌めただけ」である。おくるみをようやくのことで引っぺがした我が子の本体を嵌めてみたのだけれど、これでは固定もへったくれもないではないか。 どこに足がある…

育児漫遊録(5) これは正解なの? Ⅰ

用意した可愛らしいグリーンのベビー服に「着られて」産院から出てきた我が子を、はじめてチャイルドシートに乗せる。 彼はベビー服を「着ている」のではなくて、どう見たって「着られている」としか形容することが出来ない。手は閉じられた胸のボタンの下で…

定点観測(59) ただいま試験中

「ホントに性格でますよねぇ」とスタッフの先生が嘆息するのも無理はない。今年もやって来た「標準学力テスト」は、ウチの教室における新年度の風物詩となりつつある。 教室に通う二年生から高一まで、全員参加で実施するものだからいつもと雰囲気がガラリと…

育児漫遊録(4) 一日一時間 Ⅱ

どれだけその一時間があっという間かと言えば、子供の時分に宿題やら何やらを死に物狂いで片付けて勝ち取ったゲームの時間くらい、と応えるべきだろうか。 新しいゲームを買ってもらった昔日の私も、目覚ましく不思議な玩具が目の前に立ち現れた今の私も、畢…

育児漫遊録(3) 一日一時間 Ⅰ

仕事に行くのを忘れそうになる。 つい一昨日のお産までは、難産で時間がかかるようなら教室に出ようなんて了見であったヤツが、面会時間の制限がなかったらいつまでも産院に入り浸る構えで、自分の息子が入ったカゴに齧り付いている。 妻は思いの外産後もケ…

盆人漫録(29) 樹育てと子育て

私のよく知る愛好家が、このところ人の親となったそうな。この間の同好会に眠そうな顔をして出席していらっしゃったので、近況をお聞きした次第であります。以下聞き書き。 このところ育てているものが増えてしまいまして、日々えらいことですよ。「育てる」…

蝸牛随筆(25) 善男善女のライブ Ⅲ

宗教とは何か。 私は「物語」であると思う。「死んだらどうなる」というあまりにも普遍的な謎に対して、一つの物語を提示するものこそが宗教の意義なのではないだろうか。一つの宗教に帰依する、いや、親しむということは、それが提示する物語に親しむという…

蝸牛随筆(24) 善男善女のライブ Ⅱ

「いま春の彼岸を迎え、日は真東から昇り、真西へ沈まんとす。西方は阿弥陀如来のおわす浄土にして・・・」の聞き慣れたフレーズを朗々と和尚さんが唱える。季節のうつろいをバシバシと感じる大事なところである。 読経がはじまると、本堂の座り椅子に着座した…

蝸牛随筆(23) 善男善女のライブ Ⅰ

巡る季節の中で、私は春と秋の彼岸の頃の日和が好きである。 苛烈を極めた夏の太陽と炎熱を、さらりと吹き流す風の立ちはじめるのが秋彼岸の頃合いであり、芯まで凍える冬の寒さがどこか遠い忘却の彼方へと去るのが春彼岸の頃合いである。近くなると、お寺か…

定点観測(58) 運び屋たちの午後

学期末が近くなると、帰途に就く子供達が運んでいる荷物がにわかに嵩を増してくる。今日は絵の具バックを、明日は習字カバンを、そのまた次の日はお道具箱・・・という感じで、学校の先生がその身を案じて計画的な持ち帰りを推奨しているのだろうが、やはり中に…

文房清玩(5) ノート Ⅲ

「○○のノート」と定めて使い始めたはよいものの、それを定めてしまったが故に寧ろ使いづらくなってしまった経験を持っているのは私だけであろうか。ふと書き留めたいことが起こった時に、不幸なことに手持ちのノートが別の用途のそれであって、泣く泣くその…

文房清玩(4) ノート Ⅱ

私が日々使用しているノートは二種類。一つは万年筆で筆記する日記帳であり、いま一つはシャープペンなり鉛筆を用いて筆記する雑記帳である。まずは万年筆用のノートブックより話を進めて行くことにしよう。○「Premium C.D.NOTEBOOK」(方眼罫) こうして記述…

文房清玩(3) ノート Ⅰ

四月のノートが好きだ。 あの真っさらな一ページ目に書き入れる最初の文字は新鮮な緊張に満ちていて、そして妙に遠慮がちである。その緊張がいつまで続くかは人によるのだろうが、真っさらなページが遙かに優勢を占めている分、四月のノートには三月のノート…

育児漫遊録(2) スカーフェイス

頬に傷とアザのある我が子がワゴンに載せられて運ばれて来たとき、私は妙に納得したのである。 なるほどこんなのが股の間から出てくるのだから、どこかでつっかえるのは当たり前のことであるし、この足で腹筋の内側から蹴られれば、痛くないはずがない。顔は…

育児漫遊録(1) 序

私の息子はとうとう妻の腹から出た。トツキトウカのよしなしごとは『子宝日記』に連載して参ったわけであるが、仕切り直すにはここらが丁度良い潮時のような気がするのである。 それはひとつに、息子が腹から出てくる前と後では、私を取り巻く時間の流れが大…

弟子達に与うる記(25) 私の師匠Ⅲ

○関谷研の春秋 こんな春日の午後に、ふとあの研究室に帰って、いつものように先生とそこにたむろするゼミの人々にお茶でもいれたいと思う自分があります。 「研究室」と言っても、今めかしい白色煌々たる研究室ではありません。理数系の研究棟はすっかり建て…

弟子達に与うる記(24) 私の師匠Ⅱ

○愉しき「叩き合い」 後年、ネタばらしをしてくれたのですが、やはり私はまんまとハメられていたらしく、それを画策したのは他でもない師匠その人だったのです。 気にくわなかったり、到底興味を持てない必修授業についてはとことん不真面目であった私も、イ…

弟子達に与うる記(23) 私の師匠Ⅰ

○ようこそ、魔窟へ 私の師匠のモットーは来る者を拒まず。 学部の一年生。サークルにも属さず、同期とも連まず栄光ある孤立を保っていた私は、学内に居場所を持たない流浪の民でありました。キャンパス内の何かしらの団体に席を置く人々ならば、授業が入って…

文房清玩(2) 万年筆

「pomera」を使って「万年筆」のことを書くというのは、どうもヘンな感じがする。 ワープロで文章を書くことの利点は、もちろんその推敲のしやすさにある。とにかく書き留めておきたいことを自動記述よろしく書き出して、それをゴリゴリと削って整える…

文房清玩(1) 序

筆こそ使えないけれど、文字というものとお友達である以上、文房具とは切っても切り離せない付き合いを続けている。 それに対して常軌を逸した拘りがあるわけではないと自分では思っているのだけれど、ふとした拍子に文房具屋を覗いては、ちょこちょこと何や…

子宝日記(23) 軟禁パパと難産ママ Ⅸ

今の呼び出しが途切れたのは、ちょっとした手違いだった可能性はないか。妻が苦しい息のもとで通話ボタンと着信拒否のボタンを間違えて押してしまった可能性はないか。 もしそうだとしたら、向こうの分娩室の一同は今一度電話がかかってくることを当たり前の…

子宝日記(22) 軟禁パパと難産ママ Ⅷ

元来私はスマートフォンを用いてテレビ電話なんてハイカラなことをしたことのない人間である。「LINE」のことは「メール」と言うし、「スマホ」もとい「携帯」で撮る写真のことは「写メ」などと呼称する部類の人間である。 事実、LINEでテレビ電話が…

子宝日記(21) 軟禁パパと難産ママ Ⅶ

近いなぁ、イヤだなぁ。と思いつつ話の要所だけかいつまんで聞いていると、この婦長らしきおばさん、どうして聞き捨てならないことを言う。 「今ね、ママはね、とっても頑張っているんだけど、ちょっと疲れちゃってるみたいなの。」急なため口への転調はよい…

子宝日記(20) 軟禁パパと難産ママ Ⅵ

母子の休養を慮ってか、私が押し込められた個室には白色煌々たる蛍光灯がない。あるのは洒落たバーみたいな間接照明と、ベットサイドの読書灯ばかりである。 分娩台に行く妻を見送って四、五時間。この照明ではそろそろ本を読むにも心許ない。かといって缶詰…

子宝日記(19) 軟禁パパと難産ママ Ⅴ

軟禁。それはゆるやかな監禁の謂いであろうか。身体的な拘禁状態を監禁と呼ぶのなら、軟禁とは何らかの制度制約によって一個の人間をその場に拘留することを指すのやも知れない。 「パパはこの部屋を出ないでください。」と言われると、たちまち出たくなるの…

子宝日記(18) 軟禁パパと難産ママ Ⅳ

グーを作って、そいつを妻の臀部にメリメリと圧し当てる。そうでもしないと、どうにも痛くてきばってしまうのだという。 そんな急場へぬるっと場面が展開したのは、昼を過ぎたあたり。それまでは痛みも散発的で、助産師のおばさんは「まだ有効な陣痛ではない…