かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

子育て

育児漫遊録(3) 一日一時間 Ⅰ

仕事に行くのを忘れそうになる。 つい一昨日のお産までは、難産で時間がかかるようなら教室に出ようなんて了見であったヤツが、面会時間の制限がなかったらいつまでも産院に入り浸る構えで、自分の息子が入ったカゴに齧り付いている。 妻は思いの外産後もケ…

絵本の時間(1) 『おべんとうバス』

お題「大好きな絵本は何ですか?」 子供のために絵本を買ったのは、これがはじめて。自分で読んだり、コレクションのために集めることはあっても、誰かのために絵本を買うというのは、今までやったことがあるようでやったことのない新鮮な経験でありました。…

育児漫遊録(2) スカーフェイス

頬に傷とアザのある我が子がワゴンに載せられて運ばれて来たとき、私は妙に納得したのである。 なるほどこんなのが股の間から出てくるのだから、どこかでつっかえるのは当たり前のことであるし、この足で腹筋の内側から蹴られれば、痛くないはずがない。顔は…

育児漫遊録(1) 序

私の息子はとうとう妻の腹から出た。トツキトウカのよしなしごとは『子宝日記』に連載して参ったわけであるが、仕切り直すにはここらが丁度良い潮時のような気がするのである。 それはひとつに、息子が腹から出てくる前と後では、私を取り巻く時間の流れが大…

子宝日記(23) 軟禁パパと難産ママ Ⅸ

今の呼び出しが途切れたのは、ちょっとした手違いだった可能性はないか。妻が苦しい息のもとで通話ボタンと着信拒否のボタンを間違えて押してしまった可能性はないか。 もしそうだとしたら、向こうの分娩室の一同は今一度電話がかかってくることを当たり前の…

子宝日記(22) 軟禁パパと難産ママ Ⅷ

元来私はスマートフォンを用いてテレビ電話なんてハイカラなことをしたことのない人間である。「LINE」のことは「メール」と言うし、「スマホ」もとい「携帯」で撮る写真のことは「写メ」などと呼称する部類の人間である。 事実、LINEでテレビ電話が…

子宝日記(21) 軟禁パパと難産ママ Ⅶ

近いなぁ、イヤだなぁ。と思いつつ話の要所だけかいつまんで聞いていると、この婦長らしきおばさん、どうして聞き捨てならないことを言う。 「今ね、ママはね、とっても頑張っているんだけど、ちょっと疲れちゃってるみたいなの。」急なため口への転調はよい…

子宝日記(20) 軟禁パパと難産ママ Ⅵ

母子の休養を慮ってか、私が押し込められた個室には白色煌々たる蛍光灯がない。あるのは洒落たバーみたいな間接照明と、ベットサイドの読書灯ばかりである。 分娩台に行く妻を見送って四、五時間。この照明ではそろそろ本を読むにも心許ない。かといって缶詰…

子宝日記(19) 軟禁パパと難産ママ Ⅴ

軟禁。それはゆるやかな監禁の謂いであろうか。身体的な拘禁状態を監禁と呼ぶのなら、軟禁とは何らかの制度制約によって一個の人間をその場に拘留することを指すのやも知れない。 「パパはこの部屋を出ないでください。」と言われると、たちまち出たくなるの…

子宝日記(18) 軟禁パパと難産ママ Ⅳ

グーを作って、そいつを妻の臀部にメリメリと圧し当てる。そうでもしないと、どうにも痛くてきばってしまうのだという。 そんな急場へぬるっと場面が展開したのは、昼を過ぎたあたり。それまでは痛みも散発的で、助産師のおばさんは「まだ有効な陣痛ではない…

子宝日記(17) 軟禁パパと難産ママ Ⅲ

さて、このマシーン。絶えず不穏な拍動を発しながら、秒送りで吐き出される用紙にダイアグラムみたいなチャートを刻印し続けている。第一印象は、カフカの「流刑地にて」に登場するマシーンであるが、これもまた縁起が悪い表現となってしまうので止そうと思…

盆栽教育論(16) 針金と教育 Ⅱ

○軌道修正としてのキョウイク 確たる目的もなしに下手な針金を掛ければ樹は枯れます。それもそのはず、樹の生育にとって針金など自身の肥大化を抑制するファクターでしかなく、まさに盆栽愛好家のエゴ百%。 健康でのびのびとしていて、それこそ大自然の中に…

子宝日記(16) 軟禁パパと難産ママ Ⅱ

お産の立ち会いに入るための検査を駐車場で受ける。ここまで来たら、すぐにでも妻の顔を確認してその無事を確認したいところであるけれど、それが出来ないのが今のご時世である。 心を落ち着けつつ軽トラの運転台で一五分、いつもの産院の駐車場で検査の結果…

子宝日記(15) 軟禁パパと難産ママ Ⅰ

私は「パパ」という名前ではないし、ましてやローマ教皇でもない。だのに、どうしてここの人々は初対面の私をして、さも昔からの知り合いであるかのように「パパ」と呼び、妻を「ママ」と呼称するのだろうか。 そんなどうでもいい違和感から、お産の立ち会い…

子宝日記(14) 魔の夜 Ⅲ

てっきり自分もまた中に入れるものだと思っていた。ところがどっこい、夜間入り口でスリッパを履きかけた私はまさかのゴー・ホームを宣告されて、二月の夜に立ち尽くす。 送ってきてもらった父は、ぶつけたワゴン車で去ったばかりであるし、最寄りのスターバ…

子宝日記(13) 魔の夜 Ⅱ

自分の父と母に、妻が破水した旨を伝えるや、やにわに事が大きくなった。 破水した妻を私の軽トラックで病院に連れて行くというのは、いくら何でも乱暴すぎるというので、父がワゴン車を出すことになる。腰に巻いていくためのバスタオルを母が用意して、私は…

子宝日記(12) 魔の夜 Ⅰ

その日は雨の音で目が覚めた。 あんまりしばらくぶりの雨だったので、最初私はそれが何の音であるのか分からなかった。樹々の眠り芽をそっとふるわせるかのように、薄曇りの空から降りてきた雨は、ようやくやってきた遅い春の先触れにも思われた。 雨の後に…

子宝日記(11) 玩具みたいな洗濯物

ようやく春めいた青空に、玩具みたいな洗濯物が翻る。はて、こんなものを着る人間があるのだろうか。一枚、そしてまた一枚、水通しした産着を不思議な気持ちで干していく。 しかしまぁ、よくもこんなに買ったものである。これを着る本人は、まだここに到着し…

子宝日記(10) 彼は見ている

つい先日、こんなことを耳にした。 赤ん坊というものは案外耳が発達していて、外界の音をよく聞いているというのは以前から知っていたのだが、視覚もまたある程度あって、腹の中でぼやぼやとしたものを見ているというのである。 なるほど生まれたばかりの赤…

盆栽教育論(14) 樹と子供の個性 Ⅴ

○個体差について 盆栽愛好家に好まれる樹種に「五葉松」というのがあります。黒松や赤松などのおなじみの針葉とはひと味違って、一芽につき約五枚の新葉が愛らしく、産地によっては葉の形や見かけがまるで異なるのが、愛好家を「ヌマ」へと誘い込む心憎いポ…

盆栽教育論(13) 樹と子供の個性 Ⅳ

○性根を見据えて 樹と子供の「個性」とは、その数だけ存在するといっても過言ではありません。しかしながら、「個性」とは時間の経過とともに自ずから顕現するものではなく、それを見いだし、磨くという行程を経ないことには、結局の所、宝の持ち腐れに終わ…

盆栽教育論(12) 樹と子供の個性 Ⅲ

○見どころはどこ? 盆栽愛好家がためつすがめつ盆樹を「観察」するのは、一つに日々のケアという側面もありますが、そこには「その樹の見どころ」を見いだすという重要なポイントがあるのです。 全ての樹が教科書通りに仕上がるわけはありません。人も樹もあ…

盆栽教育論(11) 樹と子供の個性 Ⅱ

○観察よりはじめよ 「自分の思った通りにならなかったから、この子供の教育は失敗した。」という嘆きの後に、一切の手立てが中絶されるように、「自分の思い通りにならなかった樹」もまた、棚場の隅で同じ姿のまま水だけやって放置されるというのが、盆栽あ…

子宝日記(9) 我が子のかかと

「日に日に妻の腹は膨れてくる。」 いかにも近代文学が好きそうな一節であるが、オートマチックに膨れ上がってくる妻の腹を見つめる夫という存在は、だいたい戦々恐々としているものではあるまいか。 ちょっと前まで、何ほどの変化もなかった腹が「産休」で…

子宝日記(8) 子を連れて

けっこう冷静に考えた。冷静に考えた結果、この時期に性別が分かるということは、生えているものが生えていた可能性が高い。長い沈黙のドライブの後、意を決して「男じゃないか?」と、あくまで当てずっぽう感を出しつつ答えを出すと、私の葛藤を知ってか知…

子宝日記(7) 二分の一

腹の外で子供を待っている父親というものは、あるようでないようなわが子の実感をめぐって、ぼんやり物思いする星の下にあるらしい。 その子が如何なる星の下より来たったものか、自分が撒いた種であることは分かっていても、例のカラー写真によって顔を見せ…

子宝日記(6) 産婦人科の駐車場

ここで本を読んだり、文章をものしたりすることが多くなった。 産婦人科の駐車場。ここには駐まっている車の数だけ物語がある。新しい我が子を迎えに来た父親のワゴンには、真新しいチャイルドシートが据えられ、今し方車から出てきた初老の女性は、ランドリ…

子宝日記(5) 文士、服を買う。

ボタンダウンのワイシャツ数枚と、スラックス二本とチョッキとカーディガンが一枚ずつあれば事足りるのが、私の普段の格好である。 何度も洗っているうちにワイシャツの襟や袖口がすり切れたり、スラックスの膝が白くなってくると、妻に「そろそろ捨てるべし…

子宝日記(4) 耳を澄ませば

このごろ通う店のレパートリーが一つ増えた。 いつものスーパーに、ホームセンターと本屋とビデオ屋に加えて、『ベビー用品』をひさぐ店に出入りするようになった。 当然のことながら、これまでおよそ縁の無かった店であるが、あと数ヶ月もすれば「必需品」…

子宝日記(3) カラー写真

出てきてからのお楽しみ、というのは最早古い常識なのかも知れない。 それが息子なのか、娘なのか。はたまたどんな顔をしているのか、期待と不安を二つながらに抱えて分娩を待つものなのだろう、なんて思っていたら検診から戻った妻が「カラー写真」を持って…