かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育

盆栽教育論(6) 実生苗と幼児教育Ⅰ

○立ち上がりこそ 盆栽を観賞する際の重要な評価ポイントの一つが「立ち上がり」と呼ばれるものです。 その名の通り、表土から伸び上がって、最初の枝に至るまでの幹模様(幹の様子)を指して「立ち上がり」と呼ぶわけでありますが、ここに曲(ひと曲がり)がある…

盆栽教育論(6) 鉢に入った子供Ⅴ

〇変わるべきは子供? 近年は、スマートフォン、及びSNSに依存する子供の増加が問題になっているわけですが、現今の家庭「環境」を想像すればそんなのは最早必然のことと言えます。 もし子供をスマートフォン依存から立ち直らせたいのであれば、子供にか…

盆栽教育論(5) 鉢に入った子供Ⅳ

○「植え替え」に学べ 夏の暑さでヤケてしまった根っこ、新鮮な水を求めて鉢底から飛び出した根っこ、粒子が潰れて目詰まりをおこした土・・・植え替えを行う際には、こうして悪化した鉢環境を徹底的に改善する必要があります。 可能な限り古土を落とし、悪くな…

教育雑記帳(44) レッテルを貼りますか? 後編

「発達障害」とは各能力値(パラメーター)のアンバランスであると私は理解しています。健常児と呼ばれる子供より特化した部分もあれば、そうでない部分もある。それを知って、最善の策を講じるためにこそ診断はつくのであって、その子の教育はさらに質の良い…

教育雑記帳(43) レッテルを貼りますか? 前編

自分の子供が「ちょっと周りに合わせられないようだ」「自分の手にはどうにも余ってしまう」という焦燥に駆られた親が、思い詰めた末にやってしまうのが「レッテル貼り」という現象であります。 どんな「レッテル」を貼るかと言えば、すぐさま大きな病院のさ…

盆栽教育論(4) 鉢に入った子供Ⅲ

○与え「られる」環境 「鉢」の環境を整えるように、家庭環境を整えること。 それはまさに教育がはじまる前夜のことなのかもしれませんが、教育の仕事をしていて思い知らされるのは、その子供が生きる土壌の善し悪しであり、ここが根腐れしてしまっていては、…

盆栽教育論(3) 鉢に入った子供Ⅱ

○土と家庭 「自然状態」の「本来の姿」の子供なんてものが初めから存在しないように、もちろん「自然状態」の盆栽なんてものも存在しないのです。そんなのは、ただの樹であって盆栽ではないのだし、「狼少年」だって狼の規範と環境を与えられて育てられた子…

盆栽教育論(2) 鉢に入った子供Ⅰ

○よく似たふたり 盆栽が生きるのは鉢の中。 鉢に入れられた樹は、ほしいままに根を伸ばすことも出来なければ、それによってぐんぐん一人で伸び出すこともままならず、ちょっと陽気が好ければ、いつだって水切れの危機と隣り合わせの状態です。鉢に入っている…

盆栽教育論(1) 序

互いにベクトルの違う「ゆかしいもの」は、いつかどこかの地点において不意に落ち合うのではないか、というのが私のぼんやりとした実感であります。 たとえ性質の異なる別個の趣味であれ、学問であれ、雑多な読書であれ、それを一個の人間が「ゆかしい」「な…

塾生心得 一月のお便り

比較的穏やかな天候とともに、二〇二三年がスタートしましたね。 除雪作業なく年内の教室を終えられたことは、たいへん嬉しいかぎりでした。この調子でそっちの労力を指導の方へもバシバシ注いでいきたいところです。 生徒のみなさんは、どんなお正月を過ご…

塾生心得 共通テスト覚書 後編

「共通テスト」の国語で顕著なのは、二つの文章や添付されている図表を比較するというものです。以前は現古漢文を合わせて四つ、それぞれ二十分以内に読み込めば事足りたものが、しめて五つになったり、論説文にチャートが付いたり、果ては資料にまで目を通…

塾生心得 共通テスト覚書 前編

私はやっぱり「センター試験」と言ってしまうけれど、まぁ、大学入試センターがやってる試験なわけだから、ギリ間違ってはいないということでご容赦いただきたい。 それでもこの程の「共通テスト」というやつは「センター試験」と比べると、どうも毛色が違っ…

弟子達に与うる記(19) 教員免許

大学できちんと学問を修めた人間ならば「教師」となるにあたっての必要条件を満たしていると言えるでしょう。しかし、それは十分条件ではありません。 では、その「十分条件」とは何でしょう。 私が思うに、それは一つに肉体的及び精神的な体力であり、今一…

教育雑記帳(42) 主語を突き止めろ 後編

教育における答えは、いつも単純明快であります。だがしかし、それを実践に移すにあたっては、指導する立場にある人間の、骨太な理念と忍耐が必要となります。そしてこれは、家庭学習においても同様です。 「うまく説明が出来ない子」に必要なのは国語のお勉…

教育雑記帳(41) 主語を突き止めろ 前編

「この子は育ったなぁ」と思えるのは、大人相手にきちんと話が出来るようになった子供であります。 家の事情で一日分の宿題が出来なかった時、宿題を忘れてきてしまった時、親に言づてを頼まれた時に、「ふにゃふにゃ」言っているばかりで一向に要領を得ない…

弟子達に与うる記(18) 本は別腹

「卒論はお財布を痛めつけて書くものだ」という言葉を、きっと諸君ははじめて耳にすることでしょう。さて、この言葉が意味するところは何だと思いますか? もちろんこれは、大学を出るための卒業論文を誰かに高いお金を支払って代筆してもらうべし、というこ…

塾生心得 特効薬と漢方 後編

私の指導方針が「特効薬」タイプであるか、「漢方薬」タイプであるのか、塾生のみなさんであれば、もうお分かりのことでしょう。 今現在、痛い所にすぐ効いてくれる薬が「特効薬」であるように、教育における「特効薬」とはテストで点を取らせることにだけ特…

塾生心得 特効薬と漢方 前編

身体に異変が起こった時、普通私たちはお医者さんに駆け込んで薬をもらいます。何なら「診てもらいに行く」と言うより先に「薬もらってくる!」なんて言って、そそくさと出かけていくものです。 かくして私たちが頼りにしている薬、おもに西洋医学的な見地か…

塾生心得 12月のお便り

照ったり時雨れたり、一雨毎に冬の足音がそこまで近づいていることを、肌身にふれて感じる季節になりました。 葉っぱを落とした木々や、山の動物たちは冬ごもりの準備をはじめた頃でしょうが、塾生のみなさんはいかがでしょうか? え? 冬眠はしない。そりゃ…

教育雑記帳(40) 手もと九割 後編

教育現場に居合わせる人間だからこそ出来る仕事をしなければ、指導者の立ち位置は将来的にタブレットに場所を明け渡すことになるでしょう。 書かれた答えを見ることは誰にだって出来ますが、その答えが刻まれるまでの「間」に立ち会えることこそが、指導者と…

塾生心得 訂正の精度 後編

「訂正」とは「学び」のチャンスであります。 だからこそ、正解するよりも訂正することの方がよっぽど難しい。 正解とは正直なところ、実に味気ないものなのかも知れません。クイズ番組を見ていても明らかなように、ピンポーンと正解してポイントが加算され…

塾生心得 訂正の精度 前編

この間、ふとこんな警句が口を突いて出ました。 「間違いを訂正することは、問題を解くことより難しい。」 我ながらなかなかどうして、深い事を申してやったぜ、とひとりして悦に入っていたところ、「え? 先生、これってどこか間違ってます?」と言われて「…

教育雑記帳(38) 英語のはじめ時 後編

そもそも、こちらの指示や学習のアドバイスすら、ちゃんと伝わっているのだか定かでない段階にある子供に、英語を習わせるなんてことは、愚かしい倒錯に過ぎないのです。 向こうの言葉を覚えるならば、それに対応する母語という基礎がしっかりと出来上がって…

教育雑記帳(37) 言葉の感度 後編

最近の子供達が、どのように語彙を増やしているのか分かりませんが、やはり現場に出ていると「言葉の感度」が低いな、と感じる子供を見かけることがあります。 まずもって、語彙習得に欠かせないのは、知っている言葉にせよ、そうでない言葉にせよ、それをキ…

教育雑記帳(36) 言葉の感度 前編

CMの台詞、ゲームの横文字、家族の会話。 これらはみな、私の語彙を育てるのに一役買った立役者たちであります。 今の子供達はテレビよりユーチューブで、自分の好きなものだけ選りすぐって観る、という恩恵に浴しているようですが、「テレビっ子」として…

塾生心得 国公立を目指す人へ 後編

定期テストではそれなりな点数を取れていたし、その時になってホンキを出せば、国公立大くらい行けると信じている受験生。これは歯が抜けるほど甘い考えであります。 「金に糸目は付けない」という親の勧めで、名の知れた進学塾の門を叩いて、みっちりコース…

塾生心得 国公立を目指す人へ 前編

ちょっと、喩え話をしましょう。 ここに自惚れの強い大工がいます。この大工、とある大金持ちに依頼されて、とにかくデカくてゴージャスな家を建てることになりました。 「金に糸目は付けない」との注文通り、一流の建材を揃えて、さて作業に取りかかったも…

教育雑記帳(34) 三つ子のキャパは 前編

よく子供が勘違いすることわざに「三つ子の魂百まで」という言葉があります。 これは金さん銀さんみたいに、三つ子が長生きするということではなくて、小さい内に身につけたものは生涯忘れない、という教訓めいたことわざです。 まぁ、そりゃそうだろ。と軽…

弟子達に与うる記(16) ゆかしい方へ

興味がないものを研究の対象に選んだところで、そんなものが研究になるわけがないのです。自分が「ゆかしい」と思えるからこそ、研究が出来るのです。 世の中には「大学を出ること」だけが目的のような人間もいますが、それはどこまで行っても学問と主体的に…

弟子達に与うる記(15) 学問のカタログ

大学とは、一つの大きなカタログであります。 それは学問のみにあらず。そこには様々な考え方をもつ人間が入りみ混じれ、それぞれが何かしらの「ゆかしさ」を求めて奔走したり、彷徨ったりしています。 大学一年生になった諸君はまさにそんな、どこから手を…