かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育

教育雑記帳(33) 本を読む子/読まない子 後篇

日頃から「本を読まない」、語彙数が決定的に不足がちな彼らは、どのように文章を理解しているのでしょうか。 おそらく彼らは、たとえそこに分からない言葉があったとしても「分かったつもり」でそのまま読み飛ばしていることがほとんどだと思います。 これ…

教育雑記帳(32) 本を読む子/読まない子 前編

何でもかんでも二分法で考えるのは、教科書の定番になっている評論みたいで気が引けますが、こればっかりは断言できます。 本を読む子/読まない子との間には、厳然たる「/」が存在します。 教室で学習している子のとある反応を見るだけで「ああこの子は読…

塾生心得「10月のお便り」

暑さもお彼岸まで。すっかり秋の風が入って、ようやく過ごしやすい季節になりました。 ナントカと秋の空は変わりやすいとは申しますが、受験や進学を考えているみなさんの気持ちにも様々な変化が現れてくる、というか現れてくれないと困るのがこの季節です。…

教育雑記帳(31) 渡り鳥に告ぐ

取りあえず通わせておけばよい学習塾なんてありません。 世の中にはどうも、そこのところが分かっていなくて、青い鳥を捜して塾を渡り歩くワンダー・フォーゲル(渡り鳥)が一定数あるようですが、残念ながらそうした親子に安住の地はありません。 かつて私も…

塾生心得「言語化してますか?」後編

「参勤交代」が何かを説明するためには、その歴史的意義はもちろんのこと、それを説明するための「江戸幕府」であるとか「大名」の位置づけであるとか、諸々のキーワードについても語れる状態でなくてはいけません。 これが出来ていないからこそ、結局のとこ…

塾生心得「言語化してますか?」前編

「参勤交代」とは何ぞや! という先制パンチを受けて、そいつをひらりとかわしながら「それは、江戸幕府が」云々と講釈をはじめられた君は大丈夫。多分この先の話を読まなくとも、もう既に肌身に染みて分かっていることだろうから、別の記事を読むがよろしい…

教育雑記帳(30) 時には風のように 後編

自分の声を子供に届けたいのであれば、「聞かせる」のではなくて「聞いてもらえる」よう心を砕かねばなりません。そんなことは、小学校で習うことのようですけれど、あれこれ忙しい現場ではついつい疎かになってしまうこともしばしばです。 釈迦が弟子達に「…

教育雑記帳(28) 待てない!

お子さんは、待てますか? そして、どこまでガマンが出来ますか? 常々、私は「待つこと」そして「ガマンすること」こそ、幼時に付けておく必要のある能力だと思っています。これが出来るか否かによって、子供の学習進度には大きな開きがでるのです。 例えば…

塾生心得「文章問題がちょっと・・・」後編

文章問題でつまづく生徒に顕著なのは、彼らが非常に近視眼的な考え方で、文章題にアクセスする傾向であります。 「書いてあった数を単に足せばイイ」とか「これは一次方程式の問題だから必ずそれで解かなければならない」なんて了見であるから迷子になるので…

塾生心得「文章問題がちょっと・・・」前編

「ウチの子、計算はちゃんと出来るんですけど、文章問題がニガテなんです。」というお母さん達からのSOSを受けることがよくあります。 それでもバチあたりな私は、そんな話を半分聞き流しながら「ああ、この子は国語がニガテなんだなぁ」と、一人納得して…

教育雑記帳(27) 「なんで」はなんで?

教育の現場において絶対無用の言い回しだと、私が常々思っている言葉があります。 「なんでそう書くの?」「なんでそんな風にするの?」「なんでやらないの!」 私にはこんな言い回しをする教育者の気が知れません。寧ろそんな言葉を何の反省もなく吐いてい…

軍隊学校之記(16) 恩師とは何か

「○○先生、そして○○先生には、数え切れないほどの・・・」というのが、小金をもった有閑老人の自伝における決まり文句であります。 だってその歳になって自著に感謝の意を伝えても、そうした素晴らしい先達は既にして鬼籍に入っておられるわけであり、第三者の…

蝸牛独読(8)「くまさぶろう」を読む#5

四、〈忘却〉としてのくまさぶろう 「どろぼう」の上手い下手は、ごく一般的に考えて、アシが付きやすいか否かに関わってくるはずです。何の痕跡を残すことなく、お目当ての物だけ回収して警察もお手上げ、というのが上手な泥棒じゃないか、といったん定義し…

蝸牛独読(7)「くまさぶろう」を読む#4

三、自利から他利への成長譚? 前回はくまさぶろうの〈異人〉的な特質に触れながら、その「どろぼう」スキルが人の心を盗むまでに特化される過程を読んで参りました。 「やどなし」になったくまさぶろうは、その新たなスキルを頼りに、レストランで食事をす…

弟子達に与うる記(11) 半開きのドア

三連休などをことごとく自室に籠城して過ごした翌週、久しぶりの娑婆の空気を吸って授業へ出ると、親しい友人に会っても上手く言葉が出なくて驚いたことがあります。 一人っきりの部屋に籠もって、自分の内面に深く潜ってあれこれ物を考えたり、脳みそを振り…

弟子達に与うる記(10) 開く/閉じる

エレベーターみたいなタイトルですが、今回は「心のドア」にまつわる話をしてみようと思います。 大学時代とは、それぞれの主義や主張の異なる実に様々な人間と関わる時間です。そんな人々との関係から、改めて自分の現在地を相対化してみるも良し、つるんで…

些事放談「議論出来ないオトナ達」

教育に悪いものを子供に見せるな! というのは、最早古典的な台詞でありましょうが、昨今はメディアが増殖に増殖を重ねた結果、最早オトナのわれわれが子供の観ているものを全て把握することも至難の業となってきました。 テレビが一家に一台で、チャンネル…

教育雑記帳(26) エンジンが付いた子 後編

「学ぶ」ことが出来る人間とは、エンジンの付いた車のようなものです。 自分が欲する知識を、必要に応じて得ようと算段することが出来れば、その人はどこまでも「学び」を続けることができるでしょうし、その過程においてまた、新たな課題を見つけて次なる「…

教育雑記帳(25) エンジンが付いた子 前編

教育の根幹は「教える」ことでしょうか? それは違います。 「教える」ということは、「学ぶ」ことに比べるとはるかに非効率的な手段と言わざるを得ません。ですから「子供達にたくさんのことを教えたい!」と希望に燃える教員ほど、目的と手段を取り違えた…

軍隊学校之記(15) 競争はつらいよ

特大の模造紙を貼り合わせた二メートルに及ぶ順位表がデカデカと掲示されると、人々が暗い廊下にひしめき合って自分の模試の順位をさがします。 私はこれが実にキライでありましたので、出来ることならば見たくもない。校内順位なぞ模試の個人成績表に記載さ…

国語の時間「小説の読み方」

生徒のみなさんの中には、一定数「感情移入」という方法で小説の問題を解いている人もいるようです。 作中人物の気持ちになって考える。なるほど、物語に没入して読み進めるという方策は、確かに理解を早めるものやも知れません。ですが、もしもその作中人物…

弟子達に与うる記(9)「ウチ」の限界

塾生諸氏はきっと無縁のことでありましょうが、「いじめ」なるものは「ウチ」の論理がその外側を排除しにかかる、典型的な例であります。 何らかの特徴を理由に因縁をつけて、その人物を仲間内で疎外する。するとその人物を閉め出した共犯関係にある仲間ウチ…

弟子達に与うる記(8)「オレ達」の外側

そこに外部はありますか? どうです、なかなかキャッチーな入りでしょう。はい、そこの君、どこかの金貸しのコマーシャルをパクってるとか言わないように。 私は今日は結構真面目な話をしようとしているのです。っと、そこの君は「真面目」と聞いた途端に帰…

塾生心得「それって、オフライン?」後編

勉強において大事なのは知識の量というよりむしろ、知識と知識の繋がりだと私は常々思うのです。 知識が線状に繋がっていれば、たとえそのうちのどれかを忘れているとしても、知っているところから糸を辿ってその知識を呼び戻すことが出来るのです。これぞま…

塾生心得「それって、オフライン?」前編

通分の習い始めは、まず約分の逆をするところから。今まで分子と分母を同じ数で割っていたのを、今度は分子と分母に同じ数をかける操作が必要になるわけです。 「約分の逆だ」とすぐに気づく子はきっと、何だよこの間までせっかく約分して小さくしてきたのに…

教育雑記帳(24) 両立って可能ですか?

よくある塾の触れ込みに「勉強と部活の両立をサポートします!」というのがあります。 地方へ行けばいくほど、そんなニーズが高まるように思うのは、この地に学び舎を営んでいる私だけでしょうか? なるほど勉強と部活動の両立は、普通の公立中高に通う学生…

塾生心得 正しく選ぶ為に 後編

前回私は「義務教育」の意義を、一個人が主体的に「選択」するためのスキルを涵養するところにあると述べました。情報を読み解くリテラシー能力、そして社会と人と適切に関わっていく能力こそが、私たちに正しく判断し、そして「選択」するための足がかりを…

塾生心得 正しく選ぶ為に 前編

なぜわれわれは、自分から望んでもおらぬのに「義務教育」を受けなければならないのでしょうか? なぜこの国の大半の人々が、それを修了した後もわざわざ高等学校へ行き、今や結構な割合で大学へ進学するのでしょう。諸君はそんなことを考えた経験はあります…

国語の時間「わりきれない気持ち」

「楽しみでもあるけれど、不安でもある。」「表面的には嬉しいのだけど、心のどこかに哀しみを覚えている自分もいる。」などなど。 こんな風に、人の気持ちというものは時に複雑な様相を呈するものです。もちろんそれは小説の登場人物も同じことであり、ため…

国語の時間「絶対と相対」

生徒のみなさん、「絶対」とは何でしょうか。「相対」とは何でしょうか。 ふむ「絶対とは他に対立するものが無い状態」で「相対とは他との関係の上で成立するもの」と仰るか。その通り、辞書的な意味としては申し分ありませんね。 でも、ぶっちゃけそれって…