かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

2022-01-01から1年間の記事一覧

蝸牛随筆(1) 子供はお好き?

「こんな仕事してるんだから、さぞかし子供が好きなんでしょう?」という質問を受けることもしばしば。 ちょっと質問がざっくりし過ぎていて、どう返答してよいものか、私がうんうん首を傾げていると先方は既にして「やっぱりそうなのね。」という顔をしてい…

軍隊学校之記(18) 加奈陀旅行記Ⅱ

英語が通じない。 もちろん全然単語が出てこないというわけではありません。寧ろ単語なら通じるのに、私が必死こいて捻りだした構文が一向に通じないのです。 日々の暗誦で(無理矢理)培われた例文を、ジャンク屋のごとくあれこれ取っ替え引っ替え組み合わせ…

軍隊学校之記(17) 加奈陀旅行記Ⅰ

スチームに蒸されて暑いのか寒いのか判然としない寝室の分厚い窓には、厳かな冬の夜が来ている。時差ボケに悩みつつ輾転反側しているうちに、夜も大分更けたらしいけれど、隣の部屋からは、先ほど地元のパーティーから帰宅したらしいカナディアン・カップル…

盆・再考 鑑賞のすすめ

盆栽の鑑賞について、何かマニュアル的なものを語ってみようと思ったのですが、そんなケンイ的なものをしゃちこ張って云々申したところで、寧ろ胡散臭い感じがします。 確かに絵画の世界ですと、感性に従って観るのにはどうしても限界があって、時代的考察や…

弟子達に与うる記(14) 自分なりに

初めて一人暮らしてみて、それに段々慣れてくると何だって融通が利かせられるようになってくるものです。 掃除を割愛してみたり、カラオケで一晩歌ってみたり、洗濯物を干しっぱなしにして、そこから着ていくものを選びはじめるなんて無粋なマネも平気でやっ…

弟子達に与うる記(13) くらしのいろは

「気ままな一人暮らし」とは言うけれど、それはけっこう一人暮らしに慣れてからの話です。 受験生をもう一度体験できますよ? なんて言われたら私は二度と御免だけれど、一人暮らしてみると「受験生をやっていた」と言うより「やらせてもらっていた」という…

教育雑記帳(30) 時には風のように 後編

自分の声を子供に届けたいのであれば、「聞かせる」のではなくて「聞いてもらえる」よう心を砕かねばなりません。そんなことは、小学校で習うことのようですけれど、あれこれ忙しい現場ではついつい疎かになってしまうこともしばしばです。 釈迦が弟子達に「…

盆人漫録(19) コンクリート事件

沼田さんが教室に持ち込んだ初見の五葉松。寝起きみたいな頭で、ところどころ枝がトンでいるものの、どうして葉性も古さも悪くありません。 講師の平先生が来たら手をかけてもらうのだ、といつもの他力本願っぷりを発揮していますが、そこに連絡が入って本日…

盆・再考 樹形というデフォルメ

上手な似顔絵を見た人々は、口々に「○○っぽい」「似てる!」と感嘆するけれど、写真をみてまさかそんなことを言う人々はいないでしょう。 こんな樹が山の中にありそうだ、と人々に思わせるためには、そのものを見せるよりも「っぽい!」と直感させるものの方…

盆・再考 樹形とは何か

盆栽とは自然を模倣する遊びです。人の手が自然の似姿をこしらえる不自然さのうちに、逆説的な自然を感じるというのが、盆栽を通して見えてくるわが国固有の文化なのかも知れません。 そんな盆栽には「樹形」と呼ばれるいくつかの型が存在します。必ずそれを…

弟子達に与うる記(12) 男子厨房に入れ

この間した話の中に「自分の部屋に籠もる」というのがあったので、今度は大学生の生活に話をふってみようかと思います。 大学生となった諸君の中には、四月から一人暮らしをはじめるという人もあるでしょう。それが東京であれ仙台であれ、はたまた関西、九州…

教育雑記帳(28) 待てない!

お子さんは、待てますか? そして、どこまでガマンが出来ますか? 常々、私は「待つこと」そして「ガマンすること」こそ、幼時に付けておく必要のある能力だと思っています。これが出来るか否かによって、子供の学習進度には大きな開きがでるのです。 例えば…

盆・歳時記 樹形篇(四)

○双幹 ツインタワー的なものを想像される方もあるかも知れないが、そんなキングギドラみたいな樹もちょっと見てみたい気もする。 親の幹と子の幹と、それぞれ独立した樹芯が一本の樹のほのぼのとした輪郭を形作る。 「なぁ父ちゃん、おいらもその位の背丈が…

盆・歳時記 樹形篇(三)

○根上がり 「え? 掘るンすか? オレの足元を? 何で? バカなんすか? そこは幹じゃないっすよ。根っこっすよ?」 という樹の声が聞こえて来そうである。愛好家のヘンな愛情によって掘じくり返された根は、空気に触れて硬くなる。 「そりゃ、そうっすよ。あ…

塾生心得「文章問題がちょっと・・・」後編

文章問題でつまづく生徒に顕著なのは、彼らが非常に近視眼的な考え方で、文章題にアクセスする傾向であります。 「書いてあった数を単に足せばイイ」とか「これは一次方程式の問題だから必ずそれで解かなければならない」なんて了見であるから迷子になるので…

塾生心得「文章問題がちょっと・・・」前編

「ウチの子、計算はちゃんと出来るんですけど、文章問題がニガテなんです。」というお母さん達からのSOSを受けることがよくあります。 それでもバチあたりな私は、そんな話を半分聞き流しながら「ああ、この子は国語がニガテなんだなぁ」と、一人納得して…

盆・歳時記 樹形篇(二)

○直幹 真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐ空をさして伸び上がるその幹に、曲(きょく)なんて小細工は無用である。 え? 幼稚園児の描いた樹にそっくり? カンタンにつくれそう? 確かに、言われてみればその通りであるけれど、実のところ「曲の入った樹」よりも「…

盆・歳時記 樹形篇(一)

○模様木 さて、そこのあなた、突然ですが盆栽をイメージしてください! と言われた人が、何となく思い浮かべる盆栽の樹形こそが、ザ・王道の「模様木」。一億円の盆栽も、波平さんの松も、卒業式の松も、イラスト屋の盆栽もだいたいこれである。 立ち上がり…

教育雑記帳(27) 「なんで」はなんで?

教育の現場において絶対無用の言い回しだと、私が常々思っている言葉があります。 「なんでそう書くの?」「なんでそんな風にするの?」「なんでやらないの!」 私にはこんな言い回しをする教育者の気が知れません。寧ろそんな言葉を何の反省もなく吐いてい…

軍隊学校之記(16) 恩師とは何か

「○○先生、そして○○先生には、数え切れないほどの・・・」というのが、小金をもった有閑老人の自伝における決まり文句であります。 だってその歳になって自著に感謝の意を伝えても、そうした素晴らしい先達は既にして鬼籍に入っておられるわけであり、第三者の…

盆人漫録(18) 緑のチューブのあれ

それは、今回もまたはじめて同好会一同の前にデカデカと姿を現した、沼田さん所蔵の五葉松でした。 何なの? 沼田さん家はいったいどうなっているのだろう? と誰もが首を傾げる中「おっこいしょっと!」という気合いとともに十二、三号はある鉢を持ち上げる…

蝸牛独読(8)「くまさぶろう」を読む#5

四、〈忘却〉としてのくまさぶろう 「どろぼう」の上手い下手は、ごく一般的に考えて、アシが付きやすいか否かに関わってくるはずです。何の痕跡を残すことなく、お目当ての物だけ回収して警察もお手上げ、というのが上手な泥棒じゃないか、といったん定義し…

蝸牛独読(7)「くまさぶろう」を読む#4

三、自利から他利への成長譚? 前回はくまさぶろうの〈異人〉的な特質に触れながら、その「どろぼう」スキルが人の心を盗むまでに特化される過程を読んで参りました。 「やどなし」になったくまさぶろうは、その新たなスキルを頼りに、レストランで食事をす…

弟子達に与うる記(11) 半開きのドア

三連休などをことごとく自室に籠城して過ごした翌週、久しぶりの娑婆の空気を吸って授業へ出ると、親しい友人に会っても上手く言葉が出なくて驚いたことがあります。 一人っきりの部屋に籠もって、自分の内面に深く潜ってあれこれ物を考えたり、脳みそを振り…

弟子達に与うる記(10) 開く/閉じる

エレベーターみたいなタイトルですが、今回は「心のドア」にまつわる話をしてみようと思います。 大学時代とは、それぞれの主義や主張の異なる実に様々な人間と関わる時間です。そんな人々との関係から、改めて自分の現在地を相対化してみるも良し、つるんで…

些事放談「議論出来ないオトナ達」

教育に悪いものを子供に見せるな! というのは、最早古典的な台詞でありましょうが、昨今はメディアが増殖に増殖を重ねた結果、最早オトナのわれわれが子供の観ているものを全て把握することも至難の業となってきました。 テレビが一家に一台で、チャンネル…

盆人漫録(17) ビックリドッキリ盆栽

今週のビックリドッキリ盆栽はこちらです! とばかりに持ち込まれましたる「知らない樹」。 やっぱり蔵者は、わが同好会でも随一の「集め屋」の異名を取る沼田さん。 「こいづ、どっから持ってきたの?」と尋ねられても、沼田さんはニコニコしながら首を傾げ…

教育雑記帳(26) エンジンが付いた子 後編

「学ぶ」ことが出来る人間とは、エンジンの付いた車のようなものです。 自分が欲する知識を、必要に応じて得ようと算段することが出来れば、その人はどこまでも「学び」を続けることができるでしょうし、その過程においてまた、新たな課題を見つけて次なる「…

教育雑記帳(25) エンジンが付いた子 前編

教育の根幹は「教える」ことでしょうか? それは違います。 「教える」ということは、「学ぶ」ことに比べるとはるかに非効率的な手段と言わざるを得ません。ですから「子供達にたくさんのことを教えたい!」と希望に燃える教員ほど、目的と手段を取り違えた…

軍隊学校之記(15) 競争はつらいよ

特大の模造紙を貼り合わせた二メートルに及ぶ順位表がデカデカと掲示されると、人々が暗い廊下にひしめき合って自分の模試の順位をさがします。 私はこれが実にキライでありましたので、出来ることならば見たくもない。校内順位なぞ模試の個人成績表に記載さ…